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地域から発想するフードバンク ─「八王子モデル」は拡散可能か?

更新日:2023年1月19日


 2017年12月14日午後、私は浅草橋のセカンドハーベスト・ジャパンで、代表のチャールズさんを中心とした三名の方とある懸案について協議した。その懸案とは「運営協力金」を巡る諸問題である。

 この問題について、私の包括的な見解は既に「セカンドハーベストへの疑問」として公表している。これを、チャールズさんたちは既に読んでいた。詳細は、これを参照頂くとして、今回の協議で中心的な話題となったのは(意外かもしれないが)「支店」という概念だった。これが、私の見解の中心的な位置を占めていたからだ。


 私は、この席で強力に主張した。「セカンドハーベストの基本的な目標を実現するためには、いわば「支店」として、各地域にパントリ拠点を積極的に構築するべきだ」と(*1)。

 これは、逆に言えば、セカンドハーベストは「本店としてのセンター機能」により特化してゆくべきだとの私の見解とも連動してゆくわけであるが、では、この視点から見た時、懸案の「運営協力金」の問題は、どのような姿に変化するだろうか?


 しかし、この問題は一つのきっかけに過ぎない。

 今回の問題と関連した形ながら、より広い視野で「地域で活動するフードバンクは、どのようであるべきか?」という問題に対して、ある程度、体系的なアプローチを試みたい、これが本稿の基本的な意図である。


 ただ、まことに申し訳ないことに、本稿は不可避的に長文とならざるを得ない。

 冒頭で触れた「支店」という誰もが知悉している概念を上記の問題と結合させて理解するためには、フードバンク八王子が誕生した経緯を知ってもらうのが最も早道だからである。

また、チャールズさんたちに、フードバンク八王子のあり方を説明していると「それは非常に特殊なケースだ」と驚かれて、それに私が驚いたという事情もある。この意味でも、フードバンク八王子の設立経緯をドキュメント化しておくのは無駄ではないと感じた。


 かくして、本稿は長文に成り果てた。どうか、諦めて頂ければ幸いである。

 ただし、これはふわふわとした「誕生物語」などではない。もっと現実的で、ほとんどロジカルな話である。


 以下、本稿は、次のような順序で進行する。


 まず、フードバンク八王子誕生の経緯を説明する。

 これまで口頭で断片的に話したことはあっても、これだけまとまった形で文章にしたことはない。文字通りであるが「あらゆる意味で全く未経験の人間」が、フードバンクというものを知り、それを設立するに際して、どのような現実と衝突し、それと交渉して乗り越えてきたかという一風変わったドキュメントにもなるだろう。

 これを読めば、フードバンク八王子がセカンドハーベストと密接不可分の形で成立していることが明瞭に理解できるはずである。

 一言で言えば、フードバンク八王子は「セカンドハーベストの八王子支店」としてスタートしており、しかも、この形式には「地域から発想されたフードバンク」として一種の必然性があったということも理解できると思う。


 次に視点を変えて、今度はセカンドハーベストの側から、この「支店としてのフードバンク八王子」の意味を考えてみる。

 フードバンク八王子の骨格を、あらためて「八王子モデル」として抽出・把握し、このモデルを他の地域に展開・拡大することができたならば、セカンドハーベストにとって何が起こるかということを検討してみる。

 この検討の過程で「運営協力金」という問題は、新たな光で見られることになるだろう。ただし、それは必ずしも、現在のセカンドハーベストにとって都合のよい話になるとは限らない。


 最後に、フードバンク八王子が「セカンドハーベストの支店のみ」である限り、独自の活動体としてのフードバンクにはなり得ないのであるが、そんなことはたいした話ではなく、活動の進展の中で否応なく独自の活動を行わざるを得ないということを述べる。

 この地点まできて、ようやく「八王子モデル」が、一つの有効な現実的モデルとなることが理解してもらえるだろう。ついでに「フードバンクの未来」と題して、フードバンクには実は未来はないという話で締めくくる。


 さて、始めよう。


1.フードバンクの始め方


 「フードバンクを始めてみたい」。そんなことを思いつく変わり者は、この世に少数ながらいるだろう。しかし、これを実際に起動しようとすると誰もが直面する障壁が、少なくとも2つある。


【供給の確保】どうしたら食料を安定的に入手できるのか?

【需要の確保】どうしたら食料を提供すべき困窮者に到達できるのか?


 私が二年ほど前に「八王子でフードバンクなどをやる変わり者は自分しかいない」(*2)と確信した時、即座に、この二つの問題に直面した。私には、両者とも、解決不可能な問題だった。

 そもそも、私はこの種の「社会的な活動」を生まれてこの方、ただの一度もしたことがなかった。もちろん、フードバンクなど、言葉として聞いたことがあるくらいで、一ミリたりとも現実的な経験はなかった。(その種の活動を「見た」ことすらなかった)


 我ながら困惑するくらいの無謀ぶりであるが、それでも、上記の「供給の確保」について、幾つかの選択肢は検討した。

 例えば、一般の市民から食料を寄付してもらう方法がある。しかし、即座に却下した。具体的に、どのようにやればよいのか、私は全く知らなかったからである。しかも、私のようなゼロの人間がこの種の「声」を上げたからといって、一体、誰が食料を持参するだろうか?

 あるいは、食品企業を訪問して、フードバンクの社会的意義を熱意と善意で演説する。運がよければ、協力してもらえるかもしれない。しかし、これもまた即座に却下した。私の「現実感覚」が言うのである、「一体、相手にしてもらえると思うのか?」と。


 いずれにせよ、私の「努力嫌い」の性格が全開なわけだが、このデッドロックした状態で、この世には「セカンドハーベスト・ジャパン」という日本最大のフードバンクが、八王子から電車でわずか一時間強くらいのところにあるということを知った。

 ここで、私は、実に都合のいいことを考えた。「ここから食料を回してもらえばいいじゃないか!」。


 そこで、ノコノコと秋葉原に出かけたわけだが、かろうじて会ってはもらえたものの、実質的にはほとんど門前払いと同様の結果となった。当たり前である。ここで断言しておくが、その責は私にあり、セカンドハーベスト側には微塵もない。

 この時、もし仮に私がセカンドハーベスト側の人間だったとしたら、私のような全く何の経験も見識もない人間が現れて「食料を回してくれ」と言ったところで、果たして、まじめに相手にするだろうか?


 当時の私は、無鉄砲な愚か者といえども、さすがに上記の状況を理解していた。

 私は考えた。この八方塞がりの状態の中、どうしたらセカンドハーベストを説得することができるだろうか?

 フードバンクを「比較的簡単に」(*3)八王子で設立するためには、食料の供給元として、どう考えても、ここ以外の選択肢はないのだ。


 念のために書いておくが、私の目的は「八王子でフードバンクを機能させること」であり、自分自身の努力や熱意に陶酔する趣味は全くなかった。ましてや自分の善意や正義感を人様に吹聴して回ることなど、夢にも考えたことはない。

 そんなことは、どこかの「善人」がやればいいことで、私のような凡人の任ではない。その種の「絶叫する社会正義」や「涙に濡れた物語」に、私は全く関心を持っていない。はっきりと、ここに明言しておく。


1−2.フードバンク八王子は国立で生まれた


 この頃、私はよく国立にいた。

 お名前を挙げるのは控えさせて頂くが、セカンドハーベストのメンバの一人が国立で活動していて、彼が私の相談(場合によっては激論の)相手になってくれたからである。

 彼はまだ若いながら、この種の活動経験が実に豊かであり、ゼロの私など足元にも及ばなかった。しかも彼の視野は広く、頭脳明晰であり、話をしていて、私はしばしば圧倒されたことをよく覚えている。


 その時、彼から、セカンドハーベストには「アライアンス」というスキームがあることを知った。

 このスキームに参加すれば、正式に食料を回してもらえるのである。ただし、それには非常に高い資格審査が必要で、例えば、二年以上の活動実績であったり、食品の適正な管理体制であったり、そのような条件を満たさなければならない。提供元である食品企業に対する責任上、これは当然でもあろう。

 しかしながら、もちろん、そのような条件をただの一つも満たすことはできないのだ。繰り返すが、現状はゼロだから。

 私は、何度目かの壁にぶつかっていた。


 こういう時に、自分の楽天的で無鉄砲な性格を神に感謝すべきであろう。通常はただのバカ野郎でしかないのであるが、ここに至っても、我ながら不思議なくらい、私は絶望しなかった。

 ふとした拍子に、国立で、彼は私に言った。「パントリ拠点(食料配布所)として食料を提供することはできる」と。

 私は、その言葉を見逃さなかった。そして、瞬間的に、一つの構図が私の脳裏に浮かんだ。

 私は彼に言った。「フードバンク八王子は、セカンドハーベストの八王子支店としてスタートする」。


 これが実質上、フードバンク八王子が誕生した瞬間である。

 フードバンク八王子は、国立で誕生したのである。

 ここで理解してほしいのは、フードバンク八王子を成立させた母体は、まぎれもなくセカンドハーベストであり、しかも、その「八王子支店」として誕生したという経緯である。


1−3.困窮者はどこに?


 しかし、以上は事柄の半分でしかない。

 ここまで食料の「供給の確保」をどのように実現したかという点を述べたわけだが、もう一つの側面、食料を提供すべき困窮者にどのように到達するのかという「需要の確保」については、一体どうやって実現したのか?

 そもそも、誰が困窮者を知っているのか?

 今どきの困窮者は外見ではわからず、一人ひとり聞いて回るわけにはいかないのである。


 私は内心で即答していた。地域行政以外にはない、と。

 そこで、八王子市役所に出向いたわけだが、これがまた今思い出しても、自分の無鉄砲さ加減を笑い出すしかない。いきなり正体不明の男が市役所に現れて「フードバンクをするから協力してくれ」との申し出に、個人情報保護とか難しい話以前に、さぞや担当者(*4)も頭を抱えたに違いない。そもそも「あなたは一体誰ですか?」と。

 しかし、それ以後の、ある意味では抱腹絶倒の経緯は省略するが、結果として、驚くほどのスピードでフードバンク八王子は八王子市と包括的な合意書を締結するに至った。これは、市役所側担当者の信じがたいほどの好意と見識など、天の配剤としかいいようのない幸運に恵まれて実現した。

 ただし、実態としては、これは共同作業でもあった。私は、最初から完成された答案を八王子市に提出したわけではなかった。


 この頃、私は「八王子という地域に特化したフードバンク活動は、どのようであるべきか?」という強烈な問題意識を持っていた。

 ただ単に漠然と「フードバンクがやりたい」というのではない。この八王子で、フードバンクをやることにはどういう意味があるのか、この問題を少しづつ考え始めていた。


 私がフードバンクのあり方について常々思慮を重ねていたからではない。そんなことがあるはずもなく、上記のような事情で、否応なくセカンドハーベストという団体の活動内容を知るに従って、徐々に、これをそのままお手本にしても、ひょっとしたら八王子という地域とは噛み合わないのではないだろうかと感じ始めたからだ。

 また、重要な制約条件として、自分の能力の問題があった。この活動にどれくらいの時間を投入することができるのか、何人の人間が協力してくれるのか、経費としてどれくらいを捻出することができるのか、こういった「能力の限界」を、限りなき善意のみを免罪符として、私は無視することができなかった。一言で言えば、セカンドハーベストと比較して、私には(当たり前だが)極めてわずかなことしかできない。それは端的な事実だった。


 こういった事情を考慮しつつ、私の中では、セカンドハーベストと「八王子という地域の末端フードバンク」の機能と役割の相違に関する認識が、少しづつ成長し始めた。セカンドハーベストと比較して、フードバンク八王子は、地域特化型のフードバンクとして何が異なるべきか、私は、この点を市役所側担当者と実に率直かつ執拗に議論した。


 その日々を忘れることはないだろう。

 私は余りにも無知であり、彼は、そして彼のチームの人々は私に様々なことを教えてくれた。しかし、地域行政の現場で日々苦闘している彼らを通して徐々に垣間見始めた世界に、私は率直に言って、呆然とし始めたことを告白しておく。

 自分が何に関わろうとしているのか、どのような世界に足を踏み入れようとしているのか、それを思うと足がすくみそうになる自分を意識しながら、私は彼らと議論を積み重ねた。


 その結論だけを書けば「ただの配送業者であってはならない」という点に尽きる。

 つまり、我々の使命は、単に食料を提供するだけではないのだ。そうではなく、我々が構築すべきは地域でのコミュニケーション空間(食料配布をベースとした一種の居場所づくり)であり、そこから様々な支援機関などへと繋いでいく窓口であるべきだとの結論に至った。

 なぜならば、フードバンクを訪れる人々は、一人の例外もなく、経済的な貧困以上に社会性の貧困に苦しんでいるからだ。平たい言葉で言い換えれば、そもそも「頼れる人」がいれば、フードバンクなどに来る羽目には陥らないからである。

 標語的に言おう、地域に特化したフードバンクとは「社会性を再構築するための窓口」なのである。


 ここで、二点、重要な論点を補足しておく。


1−4.フードバンク八王子は「フードバンク」ではない


 第一に、上記で述べたような意味で、地域に特化したフードバンクが「社会性を再構築するための窓口」であるべきならば、これはもはや(狭義の)フードバンクではない。

 フードバンクを設立しようとしているのに、それはフードバンクではないとは、おそらく理解しがたいかもしれないので、簡単に説明する。


 先に公表した「セカンドハーベストへの疑問」でも述べたように、フードバンクの本質的な骨格とは本来「食品流通機構」であり、従って「配送業者」でもある。

 対して、パントリ拠点、つまり「食料配布所」とは、食品流通機構のインフラとしてのフードバンク・システムの上部に構築された一つのアプリケーションに過ぎない。

 これはただの言葉遊びではない。これが実質的に何を意味するか、わかるだろうか?


 パントリ拠点はフードバンクではない。それゆえに、食品企業とのやり取りや配送、食品の貯蔵や管理、そういった業務をほぼ完全に免れることができるだけでなく、一定量の食品を常に安定的に、しかも簡単に(最小限の人手と手間で!)「フードバンクから(つまりセカンドハーベストから)」入手することができるということを意味する(*5)。

 だからこそ、このアプリケーションの特質、つまり「困窮者とダイレクトに接するヒューマン・インタフェイス」の部分に資源を集中することができるのだ。このインタフェイスをどれくらい豊かにすることができるか、これが、フードバンク八王子の「支店」としての機能的な意味であり、目標でもあるのだから。


 繰り返す。ここで私は、単にフードバンクという言葉の定義にこだわった煩瑣な議論をしているのではない。

 地域に特化したフードバンクのあり方として「食料配布をベースにしたコミュニケーション空間の構築」を目指すことが、もし仮に正しいとするならば、まさにこの点に「支店」としての(これと連動して「本店」としてのセカンドハーベストの)役割分担があると指摘しているのである。

 地域で活動するフードバンクが、上記の意味での「本来のフードバンク」を目指す必要は全くないのだ。背後で、セカンドハーベストのような「本来のフードバンク」と連携することで、地域に特化したフードバンクは充分に成立するのである。


 皮肉なことに、厳密な意味でのフードバンクを諦めたことによって、ようやくフードバンク八王子は産声を挙げることができたわけである。


1−5.行政と連携するための必要条件


 第二に、地域行政がフードバンクと(その形式は何であれ)連携するためには、フードバンク側に対して「食料の安定的な確保」を一つの条件としてリクエストする点を忘れてはならない。当然であろう。「今日はありません」では済まないのである。

 この点で、食料の備蓄に波があるような食料確保の体制では行政と連携することは難しい。彼らは趣味や善意でやっているのではないのだ。この点を、フードバンク側は決して見誤ってはならない。

 食料の安定供給元として、私がセカンドハーベスト以外の選択肢を想定することができない所以でもある。


2.「支店」としてのフードバンク八王子


 このようにして、フードバンク八王子は「セカンドハーベストの八王子支店」としてスタートした。

 簡単に「スタートした」と書いたが、実際には、そこまでに至る紆余曲折には相当なものがあり、様々な方々の支援と幸運を得られなければ一歩も動くことができなかった。

 このあたりの顛末は、奇想天外なフードバンク八王子スタッフの紹介を含めて、書き出せば「八王子奇人列伝」とでも呼ぶべきものに成長するであろうが、残念ながら今は割愛させて頂く。(いつか機会があれば、是非!)


 ここで、スタート時点での「セカンドハーベストの八王子支店」としてのフードバンク八王子の骨格を整理しておく。以後、これを「八王子モデル」と呼ぼう。基本的な形態はパントリ拠点であることを前提した上で、


  • 食料の入手元はセカンドハーベストのみ。

  • 食料の提供先は八王子市役所から紹介されて来訪した人々のみ。

  • 来訪者には食料を渡すだけでなく、個別に困り事など様々な会話を行う。


 最後の「様々な会話を行う」ことこそが、地域に特化したフードバンクとして「食料配布をベースにしたコミュニケーション空間の構築」の第一歩であり、核心であるのだが、これが実に困難であった(今もそうである)。


 まず第一に、我々は全くのドシロートであり、何の知識もないし、何の訓練も受けていない。ここには、話をする側と聞く側の双方に、ある種の危険性すらあることを意味する。

 第二に、来訪した側が「なぜ、こんなにプライベートな話までする必要があるのか?」との当然の疑問を持つ。


 私は、この頃、「フードバンクに来る人々は、どのような思いで、ここに来るのか?」ということを必死になって想像しようとしていた。

 もちろん、彼らは食を手に入れるために来るわけであるが、たとえ食に困る状態になったとしても、見たことも聞いたこともないようなフードバンクという場所に来るのは、それだけで相当に高いハードルを越えて来たはずだ。

 のんきに「食料を提供する側」として椅子に座って待っているような人間には、そう簡単に想像できない領域があること、これを痛切に感じていた。

 「おまえは来るか?」。私は何度も何度も自問していた。


 かくの如く、私は全くの手探り状態で始めた。

 助けになったのは、二つあった。


 一つは、スタッフ同士での議論である。言うまでもないが、私の目は「ふし穴」である。しかし眼光紙背に徹するスタッフがいて、彼女たちの繊細な観察眼と透徹した洞察力には何度も舌を巻き、助けられてきた。

 もう一つは、フードバンク八王子が誇る「マスコット・ボーイズ」の存在である。ある女性スタッフには二人の小さな兄弟がいるのだが、最初は何も考えずに「連れておいでよ」と言ったものの、実際には、拠点内を走り回る、叫ぶ、喧嘩して泣き出すなど、それはもう毎回飽きもせず大騒ぎを演じてくれた。私は、おかしくておかしくて仕方がなく、いつもゲラゲラ笑っていたのだが、結果的に、これがとてもよい効果を生み出していたと思う。


 想像してみてほしい。

 ただでさえ深刻な話になりがちな会話のすぐ隣では、子どもたちが大声を挙げて走り回っているのだ。時には、ぶつかったりもする。話の合間に「すみませんねえ、うちは騒がしくて」などと言いながら、双方で微笑み合う。


 更に、しばしば母子家庭のお母さんが来た。小さな子どもを連れて。

 その風景そのものが胸の痛くなるものであるが、慣れない場所に来た子どもは、緊張して、当然のように母親のそばを離れない。しかし周囲で走り回る「マスコット・ボーイズ」を見ていると、一緒に遊び出したりするのだ。子どもは、子どもに関心を持つ。

 徐々に、私は、これは素晴らしい環境ではないかと思い始めた。神の如き私の予測能力の勝利である(苦笑)。


 以上のような、ドシロートなりの試行錯誤を積み重ねて、少しづつ運営の形が形成されてきた(*6)。

 ここには、我々だからできたこと、逆に、我々だからできなかったこと、この双方があるはずである。細かなことを言い出せば切りがないが、それでも本質的な骨格としては上記に整理した三点に尽きる。

 これが、地域フードバンクの「八王子モデル」である。


3.セカンドハーベストから見た「八王子モデル」


 この「八王子モデル」は、セカンドハーベストを「本店」とするのが大前提であるから、この「支店モデル」が適用可能な地理的範囲は東京都内あるいは東京近郊に限定される。

 このような制約条件は付くものの(*7)、仮に、この地理的範囲に「八王子モデル」が各自治体ごとに実装されたら、何が起こるか?

 セカンドハーベストの視点から考えてみよう。


 第一に、明らかに食品取扱量が激増する。

 第二に、各地のパントリ拠点(つまり地域フードバンク)を経由して地域行政と結びつく。


 第一の項目については、これこそセカンドハーベストの目標であり、第二の項目については、セカンドハーベストにとって重要な回路が構築されることになる。

 ここで「重要な回路」というのは、例えば次のようなステップを経て、官民連携の可能性が生まれるからだ(あくまでも「可能性」に過ぎない点に注意せよ)。


  1. 地域フードバンクが活躍して、地域社会の安心・安全インフラとして認められる。

  2. その結果、地域フードバンクの活動が、地域行政によって連携事業化される(つまり予算化される)。

  3. この予算の中から、地域フードバンクはセカンドハーベストに対して一定の経費を支払う。


 ここで一つのポイントは、セカンドハーベストに対して「経費」(*8)を支払うのは地域フードバンクであり、地域行政が直接支払うわけではないという点だ。一般論だが、地域行政にとって直接関わっていない団体に何らかの経費を支払うよりも、地域団体の事業経費を経由して支払う方がはるかにハードルは低い。ただし、その財源は地域社会(住民税)に基づく。

 これから更に、セカンドハーベストは、各地域フードバンクとの流通網や物流情報システムを整備しなければならない。そのために、広域行政(例えば東京都)に提案して、この整備事業を連携事業化してゆく。


 もちろん、以上はあくまでも「可能性」であり、どこかの自治体がこれを実現するのかどうか、私にはわからない。しかし、少なくとも可能性はある。

 その実現のための最大のポイントは、上記の一番最初の項目であろう。地域フードバンクが十二分に活躍して地域社会に認めてもらわなければ、そもそも、このステップは進行しないのだ。このファーストステップこそが最大のハードルなのである。

 そのために「本店」としてのセカンドハーベストは何をなすべきか、これが最も重要な戦略的課題とならなければならない(はずだ)(*9)。


 以上のような「セカンドハーベストにとっての事業構想」が可能になるのは、この「八王子モデル」に、最初から、地域フードバンク、地域行政、そしてセカンドハーベストの三者が不可欠な要素として組み込まれているからだ。

 この点に、セカンドハーベストにとっての最大の戦略的意義があり、事業拡大の可能性の根源がある。


4.「運営協力金」の問題


 しかし、以上のような「構想」から見た時、セカンドハーベストが発案している「運営協力金」の問題はどうなるのか?

 現時点で、彼らの「運営協力金」の算定方法と対象は次のようになっている。

  • 「運営協力金」の金額は取り引き食品量と比例する。

  • パントリ拠点(地域フードバンク)であろうが、施設など直接の受益者であろうが、例外なく課金の対象となる。

 取り引き食品量を拡大する目標を掲げている組織が、一体なぜ、取り引き量と連動した「運営協力金」という名称でマイナスの経済的インセンティブを与えるような仕組みを発案できるのか、小学生の算数程度の能力しかない私には全く理解できない。

 更に、前節の「構想」に照らしても、そもそもパントリ拠点(地域フードバンク)と施設など直接の受益者を同列に扱うなど、論外であろう。

 それどころか、パントリ拠点(地域フードバンク)がセカンドハーベストの目標に寄与する限り、彼らに「運営協力金」を支払うどころか、むしろ逆に、セカンドハーベストこそが「本店」として(例えば取り引き量の拡大に応じた)「支店への支援金」を支払うべきではないのか。


 私見であるが、セカンドハーベストの事業体としての収益可能性は、その全てが「取り引き量の増大」と「知名度」にこそ存する。

 だとすれば、その両者を最大化することに組織の全神経を傾注し、「運営協力金」のような余りにも短絡的な手法など一刻も早く放棄(宣言)して、この両者の成長をエンジンとした新たな事業計画(例えば前節のような「構想」)を立案すること、これこそが必要なことではないか?


5.「八王子モデル」の成長


 さて、「セカンドハーベストの八王子支店」としてスタートしたフードバンク八王子であったが、その枠を超え始めたのは、すぐであった。つまり、我々はセカンドハーベスト以外からも食品を提供され始めたのである。

 それは、八王子の農家さんであったり、国内大手の食品流通企業であったり、理解ある市民の方々であったり、あるいは遠く北海道から送付して頂いたり(*10)、我々は徐々に様々な方々から食品を寄贈され始めた。

 これは「フードバンク八王子が自由にしてよい食品」であった。ただし、この「自由」とは「我々だけの判断で提供先を決定できる」という意味である(*11)。


 しかし、これは、どういうことか?

 実は、「セカンドハーベストの八王子支店」として、セカンドハーベストから入手した食料は「我々の自由にできる食品」ではない。

 セカンドハーベストには、パントリ拠点に提供する食品について次の条件がある。


  • 個人としての困窮者にのみ提供可能であり、施設や団体などに対して提供してはならない。


 この条件の根拠は「食品トレーサビリティ」である。つまり、何か事故(例えば食中毒)が生じた時、最終受益者としての個人であればトレース可能であるが、施設や団体に提供した場合には、しばしばトレース不可能になってしまうからである。

 だが、このロジックは、一見もっともであるが、ソリッドな根拠ではない。というのは、フードバンク八王子が提供先団体とトレーサビリティ条項を含めた合意書を締結していれば、少なくとも理論上はトレース可能になるからだ。


 しかし、いずれにせよ、これはたいした問題ではない。

 この「不自由さ」に、実際上、困った経験はないからだ。ただ、在庫食品をセカンドハーベスト由来のものとそれ以外のものとで厳密に区別して管理しなければならず、これが煩雑なくらいであろうか。

 むしろ問題は、セカンドハーベストが積極的に「支店」としてのパントリ拠点を拡大するつもりであれば、この種の制約条件を氷山の一角とする「仕組みの使い勝手」を「支店側の視点」から充分に議論してきたかという点に求めることができるだろう。

 この点で、何か建設的な議論が行われているということを、私は寡聞にして聞いたことがないし、意見を求められことも、ない。


 フードバンク八王子には、こうして、徐々に独自の活動を行うための基礎ができ始めていた。

 これは、食品の調達や管理など、これまでと異なり、自らが行わなければならないことを意味する。ただのパントリ拠点を徐々に脱して、本来の意味での「フードバンク」の誕生である。実際、我々は、様々な施設や団体などへ食品や野菜などを提供するようになった。

 この段階のフードバンク八王子は、従って、次のような二元的構造を持っていた。(今もそうであるが)


  • セカンドハーベストの八王子支店としてのパントリ拠点

  • 独自に食品を調達し備蓄管理して様々な個人・施設・団体へと提供


 ここに至って、ようやく、言葉本来の意味での「フードバンク八王子」が誕生したわけである。

 注意して頂きたい。ここには一つの「フードバンクの始め方」があることを。


 最初は、ごく小規模なセカンドハーベストの地域パントリ拠点として出発した。しかし、ほどなく、地域独自の(本来の意味での)フードバンクへと徐々に成長してゆくのである。

これは、ごく自然な成長過程ではないだろうか?


 「八王子モデル」の現実的な有効性は、この二元的な構造にこそ、ある。


6.フードバンク八王子の「本店化」と「地域包括ケアシステム」


 地域にフードバンクを立ち上げる。

 そこには様々な背景や意図があるだろう。

 しかし、その「効率的な始め方」の一つの実例としてフードバンク八王子を見ることができる(*12)。ただし、バックにセカンドハーベストのような重量級のフードバンクによる支援が必要条件になる。

 ただし、いったん起動したら、徐々に否応なく独自の活動領域が生まれてくる。これは、言葉を替えて言えば、フードバンクの活動が地域に根づき始めたということだ。


 実際、フードバンク八王子は、次のステップとして「八王子食堂ネットワーク」という活動を八王子市と連携して立ち上げた(子ども家庭部子どものしあわせ課の事業)。これは、八王子市内で活動している子ども・地域食堂の活動グループを総合的に支援する枠組みである。

 フードバンクとしては、各団体に野菜や果物などを提供しているが、それだけではない。定期的に定例会を開催し、情報交換や様々な課題を一緒に議論したり、今度の1月には八王子市民に向けて「八王子食堂ネットワーク活動報告会」を開催する。

 地域のフードバンクとして、少しづつ活動の幅が広がってきたのである。


 しかし、それだけではない。

 ここからが本番なのだ。


 そもそも、パントリ拠点とは何か?

 それは「食料配布所」であり、従って、食に困っている人は、その場所に食料を取りに来る必要がある。

 しかし、八王子は広大である。フードバンク八王子が位置しているのはJR八王子駅近辺であるが、ここまで来るのに八王子市内でありながら、結構な電車賃やバス代が必要になり、それを支払えないから来ることができない人々がいる。あるいは、身体障害や他の事情で、行きたくとも行くことができない人々がいる。

 彼らの住居の近所に「フードバンク八王子の支店」があれば!


 もし仮に、八王子市全域に「フードバンク八王子の支店」があれば、八王子全体の、いわば「潜在的な困窮者層」に到達することができるのだ。

 これは、要するに、現在のフードバンク八王子が(八王子地域限定で)「本店化」するということでもある。もちろん「本店の本店」であるセカンドハーベストとの連携を維持しながら。

 この事態を、セカンドハーベスト側から見ると、現在のフードバンク八王子は、八王子全域に渡るパントリ拠点網のハブとなることを意味する。当然、食品取扱量も激増するであろう。

 なぜ、この構想をセカンドハーベストは支援しないのだろうか?(彼らに話していないので無茶な言いがかりであるが)


 しかし、この「フードバンク八王子の支店」とは、具体的に、一体どこにあるのか?

 それこそが、八王子食堂ネットワークに所属する子ども・地域食堂ではないのか。


 思い出してほしい。

 元々、フードバンク八王子のパントリ拠点とは、単に食料を配布する場所ではなく「食料配布をベースとしたコミュニケーション空間」として位置づけられていた。

 他方、食堂とは一体何か?

 もちろん「食をベースとしたコミュニケーション空間」である。

 この両者の親和性は、誰の目にも明らかであろう。


 食堂という場所には、強力なパワーがある。

 そこには誰もが参加することができて、無料あるいは無料に近い値段で、一緒に食事をする。太古より、人類は「共に食事をする」ことに特別な価値を置いてきた。キリスト教など「聖餐式」として典礼儀式化したくらいである(*13)。

 実際、フードバンク八王子のパントリ拠点でも経験したことであるが、そこには老いも若きも男も女も集まってくる。

 この食堂のパワーをベースとして、地域の福祉ネットワークを再構築できないだろうか?


 この構想は、一言で言えば「食堂をベースとした地域包括ケアシステムの実装」である。

 ベースには食堂がある。そこにフードバンク機能(パントリ拠点)をはじめとして、高齢者や母子家庭、障害者、もちろん子どもに対するケアの機能を組み入れていく(*14)。

いわゆる「地域包括ケアシステム」という、これまで誰もが(厚労省だけを除いて)「机上の空論」としか思わなかった一枚の「絵」を、食堂をベースとして漸進的に具体化してゆくのである。

 そうなったとき、この食堂は単なる食堂ではなく「多世代化・多機能化した地域の福祉拠点」として地域社会に深く根づいてゆくだろう(*15)。


7.フードバンクの未来


 最後に、フードバンクの未来について、考えてみよう。

 結論から言えば、近い将来、現在のフードバンクは消失してしまうのではないかと思っている。むしろ、消失してしまうべきだとさえ思っている。

 それは、もちろん、近い将来に困窮者などがいなくなる「素晴らしい世の中」が来ると思っているからではない。この世に天国はないのだ。


 フードバンクとは何か?

 この問題については、これまでにも述べてきたが、先に公表した「セカンドハーベストへの疑問」で私は次のように書いた。


多様な定義が可能であろうが、私は、その核心にあるのは「影の食料流通機構」だと思っている。

通常の意味での食料流通機構を「表の食品流通機構」と呼ぶならば、その背後に(「寄生して」と付加したくなるが)、食品ロスの削減という目的を困窮者支援という社会的課題と結びつけたもう一つの(つまり「影の」)食品流通機構が、フードバンクという活動の本質的な骨格を形成しているのだ。

つまり、本来、フードバンクとは「流通機構」なのである。


 そもそも、このような活動を民間が単独で行えるものであろうか?

 フードバンクである以上、提供元となる様々な食品企業との多様で緊密な提携関係を樹立する必要があるのだが、セカンドハーベストのような歴史があり知名度も高いフードバンクであればまだしも、群小のフードバンクが一体どのようにして、これを実現するのか?

 困窮者への接続という点でもそうであるが、本来、フードバンクの機能は地域行政が果たすべきものではないのか?


 フードバンクの活動が安心できる地域社会のインフラとして認められるとしたら、今度は逆に、地域社会全体がフードバンクを支えなければならず、従って、その事業主体は地域行政の他にはない(*16)。

 その実装形態として、例えば地域のフードバンク団体への「事業委託」という形式になったとしても、地域行政が地域フードバンクと食品企業との間の仲介役を果たし(つまり行政が「信用」を肩代わりする)、余った施設を転用したりして倉庫などの設備を提供し、地域のフートバンク食品流通網を整備する。

 他方、パントリ拠点や、前節で述べた「多世代化・多機能化した地域の福祉拠点」は、民間が主導的な役割を果たす。ここは民間こそが主役の場面である。


 言うまでもないことだが、フートバンクという活動は自主的なものである。誰かに強制されてフードバンク活動を始めた団体は、この世に一つも存在しないだろう。だから、どのような形態であったとしても、どのような規模であったとしても、それは自由だ。

 しかし、「地域社会のセーフティネット」という視点で考えた時、フードバンクという機能を地域社会に「本気で組み込む」ことを考えた時、それは行政と連携せざるを得ず、社会インフラとしてまじめに整備を始めれば、地域行政こそが主体とならざるを得ないはずだ。


 違う言い方をすれば、例えばセカンドハーベストのような「ヒーロー」を事例として考える限り、日本全国の各地域社会に「本気で組み込む」ことは不可能なのである。

 必要なのは制度設計であり、ヒーロー物語ではない。


 振り返ってほしい。

 フードバンクとは、一つの手段に過ぎない。

 フードバンクそれ自体が目的ではなく、地域社会を安心・安全に維持するという目的を実現するための一つの手段なのである。


 しかし、上記で私が言うような「官製フードバンク」が生まれた時、それは果たして「面白い」ものだろうか?

 断言するが、つまらないものに決まっている。


 その時、我々はどうするのか?

 もちろん、その時は既に「新しいフロンティア」を見つけ、またしても汗を流しながら、元気に開拓しているのではないか?


<本文への註>

(*1) この席で、既に埼玉地域にパントリ拠点を構築しているとの話を伺った。しかし、以下で私が展開するような構想とは、おそらくギャップがあるだろう。

(*2) しばしば「なぜフードバンクを始めたのか?」と質問される。定型的な質問ではあるが、どのような種類の回答を期待されているのか予測できるだけに、私としては困惑してしまう。以下に述べるように、フードバンクを思いついたはいいけれど、実際にやろうと思ったら様々な障壁が出現し、それを一つひとつ乗り越えていく内に「徐々に本気になってきた」というのが実情である。少年時代に食べるものに困っていたという記憶もないし、何かきっかけになるような劇的な体験をしたわけでもない。私に、そのような「ストーリー」は、まことに申し訳ないが、ない。

(*3) この「比較的簡単に」というスタンスが不届きである、という非難に対しては、頭を垂れるしかない。

(*4) ここで「担当者」などと書くと、いかにも八王子市役所には「フードバンク担当」の部署があるかのように響くかもしれないが、そんなものは存在しない。おそらく他の自治体も似たような状況だと推測する。ただ八王子市役所には、極めて幸運なことに(実態としての)「担当者」がいたのだ。思い返しても、天の配剤としか言いようがないと思う。

(*5) この「最小限の人手と手間で!」という点を見逃してはならない。もしもフードバンク八王子がセカンドハーベストから絶縁されたら、どうするか? 当然ながら「他の食品調達ルートを開拓する」しかないわけであるが、その場合、我々は何社に何度足を運ぶことになるのか? 結果として同量の食品を集めることができたとしても、セカンドハーベストだけの場合と比較すると、それに費やす人手と手間は、おそらく段違いになるはずだ。にもかかわらず、現状は、そのような「開拓」をせざるを得ない状況でもある。

(*6) フードバンク八王子では、どのような会話が繰り広げられているのだろうか? 我々は、彼らと接することを通じて、どのような経験をしているのであろうか? とても一言では言えない。何らかの仕方で、これを伝えなければならないと思ってはいるが、その能力が私にはない。しかし、彼らの話を整理して何らかの座標軸に位置づけて、というような「専門家」のマネをする気は全くない。様々な(驚愕するような)ケースに遭遇し、それを一向に整理することができないままに、ただ深刻な経験として受け止め、蓄積してゆく。

(*7) 要するに「セカンドハーベストがない地域では「八王子モデル」は実装不可能ではないか?」という話になるわけだが、しかし、本稿末尾の「八王子の未来」でも触れるが、その場合には地域行政が主導して「セカンドハーベスト的な官製フードバンク」を作ればよいのである。むしろ「作るべきだ」という話をするつもりだ。

(*8) この支払項目を何にするかは「行政にとって、どのような項目ならば認めやすいか?」という視点で慎重に検討する必要がある。

(*9) 思うに、セカンドハーベストは「地域フードバンク設立のためのスターター・キット」のようなパッケージ・プロダクトさえ構想することができるのではないか?

(*10)見も知らぬ人から、ある日、突然連絡があり、食品を送付して頂く。しかも何人もの方から。何度も。これは「テレビドラマ」ではない。現実に生じていることなのだ。このような経験に恵まれることの幸福を、我々は日々噛み締めながら、私は何度も自問している。「おまえにできるのか?」。

(*11)「我々の判断だけで提供先を決定できる」とはいっても、もちろん、相手は困窮者に限定される。少し論旨とは外れるが、ここで重要な点に触れておきたい。第一に「なぜ食品提供は困窮者に限定されるのか?」。もちろん彼らが食に困っているからだが、提供元食品企業の視点からみれば、少し違う。提供の相手が困窮者ではなく、一般の消費者に流されれば「値崩れ」してしまう可能性があるからだ。これは民間営利企業として断じて認めることはできない。これが提供先限定の本質的な理由である。第二に「彼らは本当に困窮者なのか?」。この問題に回答することが、実は非常に難しいことは、わかってもらえると思う。ここで「貧困とは何か?」というような大問題を論じることはできない。ただ、フードバンク八王子のように、地域行政と連携している場合には、行政のフィルターを通して「一定の資格審査」(?)は済んでいると考えることはできるだろう。しかし、それ以外の人々、例えば児童養護施設のような団体に提供することの「正当性」は、道義上は自然に見えるかもしれないが、実は簡単な問題ではない。彼らのような施設は既に行政から(つまり税金から)一定の経費をもらっているのである。なぜ、そのような施設に提供するのか。そして実際、フードバンク八王子も提供している。ここには、ある種の曖昧さがあるのだ。この曖昧さを、そのままそっとしておくのか、それとも「分析してしまう」のか、今の私にはわからない。

(*12)この「効率的な」という不真面目な(?)形容詞にお叱りを受けるとしたら、頭を垂れるしかない。ただ、その種の方々とお話するのは極めて困難だと思う。

(*13)ただし、クリスチャンの彼らが食べるのは「キリストの血と体」であるけれども。

(*14)実際、八王子市では、子ども・地域食堂に「高齢者福祉」の機能を組み入れていこうという実験的な試みが始まろうとしている。

(*15)しかし、この多世代・多機能型の地域福祉拠点の「事業性(収益性)」をどのように確保するのかという重要な問題がある。多機能型であることによって、従来と比較すれば、総体的にある程度の経費圧縮を期待することはできるだろうが、地域行政の財源は減ることはあっても増えることはあり得ない。つまり、従来のように補助金頼みの事業であってはならない。しかし、これを言葉にすることは簡単でも、実現することがどれほど難しいことか。私案であるが、地域の起業家(その志望者)とこの福祉拠点経営をマッチングさせることはできないだろうか? これは私が八王子市の産業支援機関である「サイバーシルクロード八王子」の役員でもあることから発想するのかもしれないが、要するに、これまでのように「福祉と経済」を分断する発想ではなく、この両者を接続し、自生的な地域活動を基盤とした「持続可能な地域社会」を構想してゆく必要があるということだ。

(*16)少し論旨とは外れるが、生活保護について触れておきたい。一般には知られていないことだが、生活保護受給者はフードバンクからの食料を得ることは「できない」。この「できない」というのは「もし担当のケースワーカーに無断で食料を得たことが知られたら(仮定法である)、その食糧費に相当する減額が行われる可能性がある」からだ。この理屈が妥当なものであるかどうか、ここではコメントしない。ただ、将来的に生活保護受給費が下がることはあっても上がることは考えにくいだろう。そこで、地域のフードバンクを活用した「フードスタンプ」というアイデアはあり得る。生活保護受給者には限らないが、食に困った人に対して一定の審査をした上でフードスタンプを配布し、フードバンク(パントリ拠点)で食料を受け取るのだ。不用意なことは言えないが、生活保護受給費の変動リスクを、最低限の生活保障という視点で(あるいは生活保護受給費の抑制を補完するという視点で?)、フードスタンプによってヘッジするわけである。


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