ここには「小さな風景」がある。
以下は、別に「美しい話」ではない。おそらく、ほとんどの人には、私が何を問題にしているのかさえ、わかってもらえないような「微妙な話」を書いている。ただの感傷に過ぎないと言われても、私に返す言葉はない。
一人の子どもがいた。
小学校低学年、男の子。ある子と仲良くなり、その子の家に頻繁に遊びに行くようになった。
しかし、あまりに頻繁に遊びに行くようになったので、その子の家は困惑し始めた。
ある時は、昼食時に来た。その子の親は、やさしくこの子どもに言った。「お昼ごはん食べたら、また来てね」。
だけど、この子どもは帰らなかった。家の前で、ずっと一人で佇んでいた。
ここには「小さな風景」がある。
徐々に、この子どもの状況がわかり始めた。
母子家庭である。母は仕事で不在がち。学童にも、徐々に行かなくなった。
この子どもには、ほんの少しだけ傍若無人なところがあった。
ご近所の家の庭に勝手に入ったり、ちょっとモノを壊したり。
しかし、周囲の大人たちは、多少困惑しつつも、やさしく見守っていた。
ここには「小さな風景」がある。子どもと大人たちの。
私の子どもが小さいときにも、これとは異なるが、似たようなケースがあった。
胸が痛くなるような思いがした。
忘れられない。
「だから」と、私のような種類の人間は言う。「仕組みや制度が必要なんだ」と。
あるいは「地域のパワーで子どもを支えるべきだ」と、偉そうに演説すら始めるかもしれない。いや、実際に、そうするだろう。
だけど、そうじゃないんだ。
私は思う。
手が伸ばせないことがある。
内心の困惑を押し隠し、それに小さな痛みを感じながら、遠巻きにして見守ることしかできないことがある。これは、親になった経験のある人であれば、痛みの記憶と共に、おそらくは理解してくれると思う。
だから「制度論」に話を切り替えるしかない、そういった地点がある。
つまり、自分が今、否応なく感じている小さな痛みから、それを忘れさせてくれるロジカルな「公共性のレベル」へ。
だけど、そこに、私はずっと違和感を感じてきた。
自分が、この痛みを「制度論」にすり替えてきた、そうする自分自身に対して違和感を感じ続けてきた。
今もそうだ。しかし、それを解消する術を私は知らない。
私は、上記で「すり替えてきた」と書いた。
人は言うだろう、「それこそが動機なのだ」と。「その痛みが動機となって制度改革へ向かうのだ」と。
その通りだ。だけど、私の実感としては、やはり「すり替えている」。
制度改革など立派な演説をする前に、おまえには今、目の前に、やるべきことがあるのではないのか、と。
しかし、できない。おそらく、私では、その子どもに手を伸ばすことができないのだ。
なぜか?
私は思う。
私は、ふだん思っている以上に「狭い世界」に生まれ、育ち、生きてきた。
すぐ隣には別の世界がある。だけど、その世界に行けば、そこでは、理屈以前に、感覚が合わないだろう。
何かが、微妙に違うのだ。
私は、この微細な違いを「言葉だけの正論」で押しつぶし、のっぺりとした「正義の世界」で生きていこうとは思わない。それは端的にウソであり、抑圧されたものは必ず(最悪の形で)回帰するからだ。
ただ、この微細な違いの真ん中で、凍りついたように動けない自分を、せめて自覚していたい、そう願っている。
私は「すり替えてきた」と書いた。
凍りついている自分を自覚しているからだ。そして、どこかで、そういう自分を赦していないからだ。
しかし、それでもなお、私は、これからも「すり替え続ける」しかない。
この、泥臭く、頑迷で、ザラザラとした感覚の世界から、清潔で、ロジカルな「公共性のレベル」へと。
私は冒頭の「小さな風景」を忘れない。
子どもが一人、家の前で、ずっと佇んでいる。
それに対して、この自分が手をのばすことができないことも。
私は、忘れない。
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